週末劇団

3.11後数ヶ月に渡って報道され続けた「圧力容器に破損はない」「メルトダウンしてない」「チェルノブイリと比べて遥かに被害は小さい」などなどはすべてウソだった。

政府は権力であり権力は暴力装置である。政府を闇雲なエネルギーである原子炉に喩えるならば、マスコミこそが制御棒であり圧力容器でなければならなかった。今から振り返って見れば、地震直後から大量の放射能漏れを示す証拠、政府が情報を隠蔽している証拠、東電のスピンコントロールの手口に気付くことは十分に可能だった。実際に気付いた人も大勢いた。ところが、一部のフリージャーナリストを除き、マスコミは大本営発表を垂れ流し続けた。結果、多くの人々が子供が乳児が妊婦と胎児が被曝した。

私は3/14にフジテレビを見ていた。原発で爆発が起き付近の住民が病院に搬送され除染処置を受けたと報道された。しかし解説者はなぜ除染処置がされたかわからないと言った。病院に電話一本入れればわかるはずの住民らの被曝量の具体的数値はまったく報道されなかった。付近の住民が除染が必要なほどの放射性物質を浴びたということは原発が今正に重大事故を起こし大量の放射能汚染が現前したからに決まってる。しかし官房長官は直ちに危険はないとウソをつき続けていた。そしてテレビもまた目の前の事実については一切口をつぐんで、ただただ空疎な政府発表を鸚鵡返しするのみだった。

憲法には報道の自由が書かれている。輪転機も放送局も電波塔もすべて揃っている。マスコミを名乗りニュースを報道すると自称する人たちも大勢いる。けれども真実が国民に伝えられることはなかった。

制御棒も圧力容器も見掛け倒しの役立たずだった。

日本にジャーナリズムはなかった。

映画トゥルーマンショーの主人公トゥルーマンは、妻も友人も仕事も愛も友情も仲間もすべてを持っていた。ただし、それらはすべてウソだった。豊かな日本人もまた、車もエアコンもコンビニもすべて持っている。恋人も友人も仕事仲間もいる。そして便利な生活を生み出す電気を原子力に頼ったために、子々孫々を放射能で汚染してしまった。また頼りになるはずの人間関係は十年以上連続年間三万人超の自殺者を減らすことができないままである。なにをどんなに豊富に持っていようと、それがトゥルーマンショーである限り無価値でありそれだけでなく害悪なのだ。

私たちは、国民主権と書かれた憲法を持ち、選挙で選ばれた政府を持ち、ジャーナリストを自称する人たちの報道に囲まれているが、日本に真の政治はなく、ジャーナリストもいない。アメリカで大統領が奴隷解放を宣言した百年後に公民権運動を起こした人たちのように、今、日本人は憲法に明記された真実を知る権利を持っていない。その一番の理由は、腹の底から本当に真実が大切だとは思ってこなかったし要求してこなかったし運動もしてこなかったからにちがいない。私たちは自由の航海に出ることを決意する以前のトゥルーマンの場所にとどまっている。

私たちは、真実を知る要求をするレベルにすら到達しておらず、その前に、真実が大切だと心底から思い知らなければならない場所にいる。

ここがゼロ地点だ。ここにいることを直視しよう。そうしてこそ初めてここから這い上がろうとすることができるようになる、そうではなくてウソをつき続ける限りこの地獄の底に居り続けることになる。

では、ここから脱出するためになにをすればいいか。

ブレヒトは、普段ならその前を通り過ぎてしまうような(たとえば原子力発電や無様な日本の政治や似非マスコミの報道といった)あたりまえの日常の事象の手触りをまざまざと実感する手立てを編み出した。事物の真実を真実として再認識する感性を育てるために現に役立つ方法を提示した。

それが、演劇である。

だから、私たちは、演劇から始めよう。

週末劇団 団長 朝野十字 2011年7月4日

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